2010年7月24日土曜日

第1091回MS@相模原市

平成22年7月17日 午前6:30~ 
於:ホテルセンチュリー相模大野
参加者数:31社32名
テーマ:会社の組織作り
講話者:
計屋 卓磨(はかりや・たくま)氏
AFマネジメント株式会社事業部長

計屋さんは昭和55年生まれの30歳。

放っておくと問題は蓄積していく。まずいと思った現場には毎日入り込んで、改善を積み重ねていく。
苦戦しているところ…5年間のコンサルティング経験から、現場を理解することが一番大変。
業務知識を正しく理解しないと、何をいっているのか分からない。自分が現場に入ったときがスタートだが、自分より先に現場に関与していて、今のやり方が正しいという価値観を即時に変えられるものではなく、どうやって正しい価値観を伝えていくか、難しい。
複数の現場で(同時並行的に)問題が起きている。全ての(問題のある)現場に行けるわけがなく、自分の限界を超えてきている。
そうした中で何が大事かといえば、知識も時間も経験も足りない中で、愚直にコミュニケーションしていくしかない。正しいことを正しいといっても受け入れてもらえなければどうしようもない。自分自身でこうあるべきだ、という軸や夢を持ち、それらをわかりやすく伝えることをコミュニケーション時に留意している。小さなことでも「自分がやる」と決めたことはやり抜くことを徹底している。それがいつもうまくいくとは限らないし、外的要因に阻害されることもあるが、自分が軸をぶらさずに続けていくことで、自分の価値観を分かってくれてついてきてくれる方が出てくるようになる。そこまでしても理解してもらえない方は、当然一緒にやっていけない。
部長に就いて3カ月、自分の部下にもそうした姿を見せていき、自分のチームメンバーを育てていくことに向き合うことによって、現場を維持し、育て、幸せになってもらうことにつながる。同じ志をもった仲間とつながりながらやって行きたい。
世の中が安定しない中で、孫正義氏が立てた「30年計画」のことを調べてみた。世の中の流れが何もかも速くなっており、国内市場は限られたパイの奪い合いになっているが、先を見た活動につなげていきたい。

2010年7月22日木曜日

第1090回MS@相模原市

平成22年7月17日 午前6:30~ 於:ホテルセンチュリー相模大野
参加者数:31社32名
テーマ:今後の倫理法人会について会員ミーティング

今回は、いつもとは趣を変えて、全員参加のミーティング形式でモーニングセミナーを開催しました。
倫理法人会の期末が8月末に迫っている中で、少し早いですが今期の活動を振り返り、来期によりよい活動ができるようにしよう、という趣旨です。
最初に板橋会長の挨拶と会長の立場から今期の振り返りを行いました。次いで、活動の実質的な担い手である各委員会の委員長より、今期の振り返りと来期に活かしたい反省・要望をお話しいただき、活発に質疑応答がなされました。とりわけモーニングセミナーの運営(講師選定を含む)については、倫理法人会の「核」といえるだけに多くの貴重な意見をいただきました。来る29日に開かれる四役会にて、今回のMSの内容を活かして、来期の活動計画策定を行う予定です。
とはいえ、平成22年度もまだ1カ月残っています。1社(名)でも多くの方に、お声がけをいただき、MS(倫理法人会)にお誘いいただけると幸いです。

※不定期本人非承諾掲載~新吾画伯の「今週の1枚」

2010年7月14日水曜日

第1089回MS@相模原市












平成22年7月10日 午前6:30~ 於:ホテルセンチュリー相模大野
参加者数:26社27名
講話者:社団法人倫理研究所 法人SV 盛田 良次(もりた よしつぐ)氏
テーマ:商売繁盛の秘訣

冒頭は福田文子幹事の会員スピーチです。
この6月に7年間勤めた労組本部役員を退任した。心から感謝をするということがどういうことなのかを考えてきたが、実は他人のためにではなくて、自分を救うことなのかもしれないと気づきはじめた。
日々の人間関係の中で揉まれることも多い中で、心から感謝できるだろうかと思うようになった。ちょうど誕生日である6日の職場の教養では「ありがとう」がテーマだった。ようやく会員スピーチに立てたのも何かの縁である。但野さんが「世の中には偶然はない」といっている意味が良く理解できた今日この頃である。

続いて、盛田法人SVの講話。
万人幸福の栞の輪読を一度にせずに帰るのはもったいない。重なっても良いので輪読に参加して欲しい。耳で他の方の声を聞きながら、心を合わせていくことも訓練である。
盛田さんは長野県姨捨の出身。工業高校機械科を出て、積水化学の子会社に入ってフラフープを作っていたが、何とか東京へ出たい…と1年で辞めて、職のあてのないままに上京した。これからは弱電が伸びるだろうと考えて仕事探しをしていたが、たまたま見つけたカバン問屋で外商の手伝いの仕事を7年続けた。自分の担当エリアでなかったが、盛岡にあるモリタという注文の多い店があり、年度末に「もう一度注文を取ってこい」といわれて伺うと、応接間に上げられた。そこで「12本、24本…」と大口の注文をもらった後で、そこの奥様が最後に写真を見せてきた。よくよく見ると「期限」が記されていた。その後も縁談が来たが、来る話がみんな婿の話だった。よくよく聞いて見ると、4代続けて婿を取っていることもあり、それなら…とモリタの婿に入った。
婿に入って見たら、9番目の娘で後を継ぐのでもない…と思っていたら、「あなたたちのい方角はこっちだ」と秋田に店を出すことになり、6,000万円の借金を背負った。突貫工事で店作りが進む中で、みんなが「入院しろ」という。医者にいって聞けば黄疸が出ていて、入院しないと命の保証はないといわれたが、店の開く寸前で無視していたら治ってしまった。盛田家には「親のいうことは絶対」、「店を開けたら3年間は酒を飲むな」との家訓があり、必死に守ってきた。
少し儲かるようになったある日、知人にサウナに連れて行かれて、そこで酒を飲まされてウトウトしてしまった。夕方になったらキャバレーに連れて行かれて、こんな楽しいことはない、とのめり込んでいった。当時は1日100万円売れることもあり、レジを打ち直して、懐にお金を入れて連日遊んでいた。そのうち妻から「いい加減にしろ」といわれはじめた。2階で夫婦げんかをしていたので、全てが筒抜けになっていた。そうするうちに「辞めさせて欲しいのですが」とトップセールスが立て続けに3人辞めていき、「このままでは店が潰れてしまう」と危機感を覚えるようになった。
ある勉強会に誘われていってみたら、「奥さんに不満をいっても相手は変わらない。自分が変わらないとダメ」と聞いて、これは自分のためにいわれていると思って、すぐにその会に入った。その勉強会が倫理法人会の「経営者の集い」だった。日々勉強を続けたが、染みついた考え方がなかなか変わらない中で、連れて行かれたのが富士研だった。『恩の遡源』で痛い痛いと騒いでいると、山口健次先生に「そんな痛さがなんだ、親の生みの痛さに比べれば何でもない、黙れ!」と一喝された。そのうちあちこちで鳴き声が聞こえてくる。こちらもつられて泣いてしまった。
心からの涙には洗浄作用があったようで、帰宅して妻に心から謝った。家庭がダメでは商売もダメになる。心から「ハイ」といって、相手を受け入れられるようになった。その後に富士研に社員を送り込むと、自発的に挨拶リーダーなどに就いてくれる。帰ってくると決意書を携えて元気になっていた。そうした社員が辞める訳がなく、バブル経済にも押されて44店舗まで拡大していった。バブルがはじけると、業容を半分程度まで縮小するようになったが、盛田家家訓に従って、手形を切らず現金決済でやってきたおかげで、何とかやってこられた。これまで110店舗を出してきたが、今残っているのは38店舗なので、70店舗は閉めていることになる。店を閉めるには多額の費用がかかる訳で、自分は商売上手だと思わないが、家訓には末代まで店が続けられるようになっていると感心している。家訓に「保証人の印鑑を押すな」とあったが、専門店組織の日専連に入った際に連帯保証人となった。後に日専連を辞める時に「抜けられない」といわれて、日専連が破綻した。銀行融資はオリックスへバルクセールされたためタダ同然で済んだものの、中小企業金融公庫の分は現在価値でオリックスに売られたため、1,000万円の負債を負うこととなった。
こうした目に遭わないためのエッセンスが、実は万人幸福の栞に書かれている。23頁、35頁、82頁…と上げていくと切りがない。世の中を良くする前に自分の会社を、その前に家庭を、最初に妻に良くしていくことがポイントである。