2010年3月6日土曜日

第1072回MS@相模原市

平成22年3月6日 午前6:30~7:30
於:ホテルセンチュリー相模大野
出席者:30社33名
テーマ:清き耳で学ぶ
講話者:社団法人倫理研究所
法人局普及本部首都圏方面
松本光司 副方面長


会員スピーチ:大石隆事務長

富士研の経営者セミナーに参加した。非日常的な中で過ごした3日間はあっという間であった。同室のメンバーとは初めて会ったのに、ごく僅かの時間で心を合わせられるようになれた。せっかくいただいたご縁なので、この縁を切らないようにしていきたいと決意した。

講話:松本光司 副方面長

倫理の強みは富士研で日常と異なる空間で学べることに加えて、その学びを実践する場が「毎週」開かれていることにある。他の勉強会は短期集中で厳しい修練をするが、その時は良いのだが、帰ってきて日常に戻ってしまうと、すぐに忘れてしまう。だが、倫理では富士研で学んだことを忘れる間もなく、すぐにモーニングセミナーで実践できる。まだ富士研を体験していない人は、ぜひ富士研の学びを体験してほしい。

知っているとやっているは違う、実践が大切。
「学ぶ」という言葉は「真似る」から始まったといわれている。そして、「研究」と「学び」は似て非なるものである。
「研究」は、まず事実をベースにして、その事実を疑って、なぜ…と突き詰めて、本質を見出すことにある。
「学ぶ」は、誰かに付き従って、その師匠筋をそのまま同じように(行動や言動を)真似ていくことにある。
よくいわれる「守・破・離」の第一ステップの「守」もそうで、師の教えを守る、つまり真似ることである。
このステップの妥当性は、倫理の原則にも沿っている。「発顕還元の原則」である。「発顕還元の原理」とは「出せば入るの法則」とも言われている。学び向上したいという気持ちがあるならば、まず、自分の持っている先入観や価値観を全て捨てて、空っぽの状態になれば、自然と良いものが自分の中に流れ込んでくる。

自分自身も富士倫理学苑で研究員としての学びをスタートした時に、行き詰まった経験がある。最初に「万人幸福の栞」を丸暗記せよといわれた。自分は、両親が倫理に触れていたこともあり、日頃から「栞」には触れていた。しかし、30歳過ぎに入所したこともあって、記憶力は落ちている。1条、2条は覚えられたが、3条から先がどうやっても頭に入らない。同期の若い人はどんどん先に進んでいく。
困り果てて教官に相談した。テクニックを教えてくれると思ったら、一言「捨て切れていないよね」と。
高校を卒業してから12年余、親の会社を引き継いで経営者のような状態だったこともある。研究所に入所するにあたり、身辺整理をしてきたつもりだったが、つまらぬプライドを捨てきれていなかったのであった。
そのプライドを捨てるために、持ち物のうち必要なもの以外を捨てて、気づいたらすぐ清掃する実践を言い渡された。
そうすると、覚え方は何も変えていないのに、スッと頭に入ってくるようになった。特に汗をかいて掃除した後の頭が空っぽになった時に覚えた時は効果覿面だった。結果として、期限の2週間前にクリアすることができた。

「清き耳」とは釈迦の言葉で、何もこだわりを持たずに聞ける耳のことである。釈迦は甘露に入る門が開くか否かは、清き耳を持っているかにかかっている、という。子供をみていると分かるが、彼らは聞いたことをそのまま実行するので、大人よりも学びの速度が速いという。子供のように素直に聴いた、学んだことを実行すれば、効果的に学べるはずである。人生の梯子をひとつでも上に昇りたいと学びに触れているのに、自分の価値観という目の前の梯子にしがみついている人が多い。何を得るためには何かを捨てるしかない。
梯子を一段でも上に上るためには、握り締めている手を離す必要がある。栞をそのまま読む、マニュアル通りにMSを進めていくことも、中身もさることながら、そのまま受け容れて学ぶ姿勢を体得していただく狙いがあるので、キチンと実践を続けてほしい。

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