2009年12月19日土曜日

第1062回MS@相模原市



平成21年12月19日(土) 6:30~7:30 於 ホテルセンチュリー相模大野

講話者 有限会社さがみ原工房 代表取締役 麻生龍雄

    (相模原市倫理法人会副会長)



麻生さん







鈴木紀夫さん



会員スピーチは鈴木紀夫さんでした。最近、ヤモリを家の中で放し飼いにしているが、そのヤモリから気づきがえられているとか。鈴木紀夫さんのロング版会員スピーチは来月23日に行っていただく予定です。



そして、麻生さんのロング版会員スピーチです。

昭和15年釧路市に生まれた麻生さんですが、ルーツは九州にあるそうです。以前、夕張に出かけた際に、九州から秋田を経て北海道に渡ったことが分かったそうです。釧路の中で麻生といえば…と名前が知られていて。麻生太郎前首相とは遠い親戚なのだとか。



中学の卒業文集に「日本一の看板屋になる」と夢をしたためた麻生少年は、中学卒業と同時に家業に携わるようになりました。成人式を終えて約1カ月後に、父親の師匠の長男が江東区で営んでいる看板屋に入ることにしました。既に看板屋を4年やっていて、本当は展示の看板屋になって一旗揚げるつもりでいたのだとか。デパートの催事の看板を作りながら2年半ほど過ごすと、いったん釧路へ帰郷します。

昭和38年に弟弟子の姉と結婚すると、再び釧路を離れて相模原市南台に移ります。翌年にさがみ原工房を個人事業者として設立、平成3年に法人を設立しました。倫理との出会いは平成12年2月で、当時の相模原市中央準倫理法人会に入会されました。



会場の様子



看板のルーツは定かでないところがあります。商業的な告知広告としては、奈良時代の書籍の中に「商いが正午からはじまり、夕暮れ前に鼓を3回打ったら終わるものとする。商う際に自分の名前を書けば商売を許す」というものが最初に記録に現れているものですが、ややアテにならないようです。

江戸時代になると、衝立のように足の付いたものや、箱看板、ろうそくを入れた照明看板など現在の基本になるものができてきました。「文明開化」の明治時代には、全国的にチラシも広まってきたといいます。寄席の看板などで使われる「勘亭流」は、四角く直線的で「枡が一杯になるように」との願いが込められているそうです。



麻生さんは、業界団体(社団法人神奈川県広告美術協会)の会長も務めています。業界団体が法人格を備えているのは神奈川県と鹿児島県だけだとか。これからは団体に入っていないアウトサイダーの看板屋さんもどんどん取り込んでいきたいと考えているそうです。



大石さんと江成さん



連絡事項は大石事務長、誓いの言葉は江成会員でした。












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